Green Fortress

プログラマーのポエム隔離所

技術者から経営者へのキャリアチェンジについて

数日前に中央大学の竹内先生の記事がバズった。 d.hatena.ne.jp

読んでいて思い当たるフシはあるが、どうにも納得出来ないという、もやもやした読後感なので本稿で取り上げることにした。

まず引っかかるのは、経営で負けていたかもしれない、技術で負けていたかもしれない、とあれこれ原因を模索しているところで、技術者に対してやるべきことがあったのではと提言しているが、経営に対しては「経営で負けたのならば、優秀な技術者は弱点である経営を助ける仕事になぜ転換しなかったのか」なのに対して技術に対しては「技術という狭い世界に閉じこもっていたことを、反省しなければいけないのではないでしょうか」といった風に対応が取れていない。 基本的には技術者が専門に閉じこもり過ぎていたのではというのを批判している記事なのでそれは仕方ないのだが、半導体分野で日本が遅れを取ったことによる先生の悔恨を「とにかくなんでもいいからうまくいってくれよ」という駄々をこねられているような印象を受ける。 見知った人間であればそういう駄々にも耳を貸さねばならないだろうが、そうでもない上に分野違いの端くれとはいえ仮にも技術者として身を置いているので「技術者は○○すべきだ」というコンテキストを投げかけられて、それが自分の意にそぐわない場合には不快感を覚えてしまうのだ。

私が不快感を覚えた理由としては、「なんで負け組になりつつある企業の経営を舵取りして敗戦処理しなくちゃならんのだ」という点である。 先生が例示するシリコンバレー企業のように、競争に敗北した企業は潔く潰れて新たな企業が生まれる新陳代謝を促進させるべきではないのか。 また、技術者が経営者としてのキャリアを~という箇所で先生が使っている言葉は「学ばせ」「歩ませ」といった風に一貫して使役形になっている。 その点でも組織の枠に自分を合わせるやり方*1を連想してしまい、組織がどうなろうと知ったことではないが個々人の欲求の達成を重んじる自分に取っては心理的に受け入れられないのだろう。

さて、自分の考えはさておき、先生が言う技術者から経営者に移った事例として思い浮かぶのは故・岩田聡任天堂社長である。 氏は家庭用ゲーム黎明期においては伝説的なプログラマーであったことが今も伝えられているが、山内溥元社長(同じく故人)によって社長に抜擢され、経営のイロハを叩きこまれたと言われている。

経営者としての岩田氏の評価は去年亡くなった際に株価が上昇したように市場が要求するスマホ市場への参入に対し慎重な姿勢は投資家に不人気であった*2。 しかし、ユーザー目線を大事にし、経営者になってからもゲーマー、プログラマーとしての自分をアピールする姿は往年の任天堂ファンの心を掴み続けた。 そういう意味では技術者から経営者に転身することにも意義はあるかもしれない。 しかし、岩田氏を話題にする上で「彼がもし技術者であり続けたら」、「彼は社長になってからもプログラムを書きたがっていたのではないか」といった内容は必ず挙がってくると言ってもいい。どちらが幸せだったかというのは当然本人にしかわからないが、私の目線では、どうしても勿体無いことのように感じる。

唯一望むことがあるとすれば、岩田氏が「社長をやらされた」のではなく、「やりたくて社長をやった」のであって欲しいと思う。

*1:東芝で働かれたことがある竹内先生はよくご存知であろう

*2:個人的にはこの点では任天堂の姿勢が正しかったと思うが、DSやWii末期にコンテンツに精彩を欠いていたのは間違いなかったと思う

Civilizationのすすめ

ついさっき、Civilizationというゲームに関してCiv5 GaK ローマよ永遠なれ 実績解除 - Green Fortressという記事を書いたが、 さすがにゲームをプレイしない人には何がなんだかわからないと思うので、授業の課題としては未プレイを前提に本稿でゲームの魅力を説明できたらと思う。

Civilizationとは和訳したそのまま「文明」を取り扱うシミュレーションゲームである。いくつかシリーズがあるが、特に断りのない場合はSid Meier's Civilizationのことを指す。 その中でも筆者がやりこんでいるのはCivilization 5であるが、前作にあたる4や続編のBeyond the Earthをやり込んでいるプレイヤーも多々存在する。 さすがに当初よりは勢いが落ちたが、長く楽しめる作品になっている。

ゲーム内容としては、プレイヤーは一つの文明の指導者となって縄文時代レベルの太古から国土を広げ、技術を開発し、他国と外交や戦争をしながら文明を成長させていく。 そして他の人間やCPUから構成される文明を打倒していくつか存在する勝利条件*1を達成すれば勝利、というルールになっている。

プレイヤーが選択できる文明はアメリカや日本といった現代の大国からバビロニアインカ帝国のような過去に滅んだ文明まで様々で、それぞれにCPUの性格や能力で個性付けがなされている。 ある程度定石となる戦略は存在するが、立地や周囲の文明などを考慮して様々な戦略を立てることができるのが魅力とも言えよう。

例えば、自国の隣に大量の兵士を抱えた強力な文明が存在したとしよう。勝つために取れる戦略は全面戦争だけではなく、以下に示すような様々な選択肢がある

  • 資源を貢ぐ土下座外交で機嫌を取る
  • 他の文明と協力して袋叩きにする
  • 他の文明と戦争するように仕向けてやりすごす
  • 一緒に他の文明に戦争を仕掛けて狙われないようにしながら他の文明の都市を奪う
  • 自分たちの宗教を布教して味方に抱き込む
  • 堅牢な地形を利用して相手の兵士を適当に追い返して時間を稼ぐ
  • 技術開発に注力して相手よりも高度な兵士を用意して叩きのめす
  • 国力を高めるために新天地を開拓する

しかも状況に応じて有効な選択肢、そうでない選択肢が変化し、時には様々組み合わせることになるだろう。 このような奥深い思考を楽しむことができるのが本作の醍醐味とも言える。

また、CivilizationにはPS3のトロフィーのような「実績」システムが存在する。普通にプレイしていれば取得できる実績もあれば、「やれるものならやってみろ」と言わんばかりのやりこみを要求する実績もある。筆者がリンク先で解禁した実績もプレイヤー全体のうちわずか0.2%*2のプレイヤーしか取得していない最高峰の難易度の実績である。 最高峰の実績のうち、まだクリアできてないものが2つ存在するのが頭痛の種であるが、気長に挑戦して達成していきたい。

*1:全文明の首都を侵略、宇宙開発で一番乗りをする、全文明を文化的な影響力を高める、国連で世界の指導者になる、のどれか

*2:ごくわずかしかプレイしていない人も含めての全体の割合なのでやり込んだプレイヤーを母数にすればもう少し大きい数字になるだろう

Civ5 GaK ローマよ永遠なれ 実績解除

久々にCiv熱が復活してきたので実績開放していなかったローマの没落シナリオの最難実績をクリア。 これまで何度も挑戦して敗れ去ってきたがやっとできた。 オートセーブを1ターン単位にしたというのも効いてる。

実績の概要

東ローマまたは西ローマで創造主をプレイして勝利、かつ自文明の初期都市をすべて保有している。 一般的に東ローマの方が簡単だと言われている。西ローマは史実だと滅んだしね。 「没落」と謳われている通り序盤は軍備も内政もボロボロのグダグダの状態で持ちこたえて逆転する必要がある。

基本戦略

最初期のユニットが足りなすぎるため、前線の都市を生贄にしてから時間を稼ぎ、軍備を増強させてから押し返す。 ついでにスコアが伸びてくるササン朝ペルシャに侵略してスコアを抑える。 同じチームである西ローマはプレイヤーを上回る勢いで紙屑のように都市が落ちていくのでこちらもある程度介入する必要がある。

序盤の戦略

放棄する都市と死守する都市をすっぱり分ける。 また、防壁は社会制度「農奴の蜂起」によって生産量を下げるマイナス効果を生むので、生産するのは内政の影響が少ない都市に限定する(ディラキウムとアマスィヤ) 初期配置は心もとないが上手に使う。

北西戦線(対ゴート)

  • シルミウム、ナイススは遠すぎるので放棄
  • テサロニカ、アドリアノープルは死守
  • ディラキウムは都市の質が低いので落ちても構わないがダメもとで粘る
  • 初期配置のレギオンは後退させ、テサロニカ、アドリアノープルで要塞を建設する
  • 首都のレギオンと労働者1体もこちらに使用。特にアドリアノープル左の森林+丘陵は見通しが悪く動きづらいので伐採する。

ギリシャ(対ヴァンダル)

  • 全都市死守。ギリシャ南端にあるミストラは防衛が難しいが、高級資源2つを持つので落とされるときつい
  • 初期配置のドロモンはエーゲ海に向ける

アナトリア半島東部(対フン、ササン朝

  • トレビゾンド、テオドシスポリス、メリテネ、エデッサを放棄。
  • アマスィヤ、アンティオキアは死守。

アナトリア半島南部(対ヴァンダル)

  • セレウキアを死守。ただし初期兵力を利用しないと達成は難しい。
  • 首都にいる戦闘弓と前線にいるレギオン1体を連れてくる

北アフリカ(対ヴァンダル)

  • アレキサンドリアは普通にしてれば落ちない。初期配置のドロモンは少しだけ北上してヴァンダルの兵力を引き付ける
  • キレネも死守。ヴァンダルの初期兵力はキレネかミストラのどっちかに行く感じなので初期配置のドロモンはそれに合わせて対応

労働者

  • 首都に2体、アレキサンドリアに1体、ニコポリスに1体初期配置されている
  • 首都の1体は周辺の伐採+鉱山建設で生産力アップ、もう1体はアドリアノープルに送って伐採と要塞の建造を行う
  • アレキサンドリアの労働者はアレキサンドリア~キレネ間の異常に長い道路の撤去を行う。暫くの間キレネの交易路ボーナスが貰えなくなるがやむを得ない。この道路費用をケチることで赤字がトントン~微黒字にまで改善する(キレネ~カルタゴ間の領土外の道路は撤去できない)。
  • アテネの労働者は周辺の伐採や土地の改善に当てる。今思うとセレウキアの要塞建造に当てるのもアリだったがそこまでしなくても勝てた
  • ペルシャの前線には労働者がいないので頃合いを見て1体生産する。ペルシャの領土まで行けば捕獲できるが、そこに行くまでの間に仕事が山ほどあるので自分で準備したほうが良い

社会制度取得方針

Civ5唯一の取得することがマイナス効果を産む社会制度たち。 今回のプレイでは蛮族の徴兵制度→帝位簒奪将軍→農奴の蜂起→社会基盤の不整備 の順で選択した。 それぞれの制度と所感を以下に述べる

  • 蛮族の徴兵制度 戦闘力10%低下 じわっと影響のある制度だが、これを最初に取得する理由は単純で、「序盤に戦闘力10%に左右されるような用兵をしてはならない」から。最初は兵力が整うまではひたすら我慢する必要があるということを理解していればなんてことはない。本番は十分な兵力と大将軍が前線に到着してから。
  • 帝位簒奪将軍 兵舎から文化+1 ランダムでどこかの都市に蛮族の群れが出現 この制度はランダム性が非常に強く、首都近郊を荒らされると厄介だが、放棄する前線に蛮族が現れてもなんの影響もないというパターンにもなりうる*1。 なのでとりあえず事前にセーブして蛮族がどこに出現するかを確認するとよい。 今回はどうでもよい都市筆頭のパルミラに湧いてくれたので迷わず2回目の制度とした。
  • 農奴の蜂起 防壁のある都市の生産力-2 最初にオープンできる制度だが、最初に取ることは推奨しない。 最初から防壁がある都市は首都やアンティオキア、アレキサンドリアといった大都市や、トレビゾンド、テオドシスポリスといった最前線の都市で、ユニット生産に大きく響いてくる。 特に最前線ではユニット1体出すだけでじわじわ影響する時間稼ぎができるが、この制度を最初に取ってしまうと時間稼ぎユニット生産前に放棄都市が陥落してしまう。 今回は3回めに取得した。
  • 倦怠ムード 幸福資源1つ当たり幸福度-1 取得しない。10個以上の幸福資源を持つため影響があまりにも大きすぎる。 恒常的に不幸が-10を超えている状態で開き直るという考え方もあるが、その状態でのペナルティは半端無くきついのでなるべく避ける方針を取るべき。今回のプレイでは幸いにして1回も幸福が-10まで落ちることがなかった。
  • 社会基盤の不整備 交易路の収入が50%減少 収入のほとんどが交易路なので最初に取得できるが影響はかなり大きく、黒字経営が一瞬で大赤字になるほど。 この制度の取得方針は「中盤までに資金を蓄積し、なるだけ最後の方に取得してキャッシュが尽きるまで持ちこたえる」か「最初から黒字化は諦めて真っ先に取得し、赤字によるユニット解体に対して斥候を生贄にする」のどちらかである。 ただ、やってみるとわかるが赤字によるユニット解体は使おうと思っていた斥候や消耗した手練の軍事ユニットをいきなり解体されるのでかなり戦いづらい。 今回は前者の方針を採用し、序盤は道路の解体と交易路の要衝死守により黒字を保つ。この制度は4番目に取得した。
  • 貨幣価値の切り下げ ユニット維持費が10%上昇する 先ほど説明した大赤字路線なら採用の価値あり。黒字で逃げ切る方針ならこの制度を取るまで文化ポイントは溜まらないので取らない。
  • 暗黒時代 幸福度が10減少 これまでの6つの制度を全て取得した場合7つ目の制度として取得させられる。 効率よくプレイしていたら取得を強いられる社会制度は4つ。 つまりこれを取ってるような状態は負け確なので考慮しない。

実際の序盤の戦果

北西戦線

  • 順当にシルミウム、ナイススが陥落
  • ディラキウムは防壁作って粘るも手数が足りず陥落。海軍が余っていたのでゴートを掃討してすぐ取り返す
  • テサロニカ、アドリアノープルも狙われるがレギオン、戦闘弓、ドロモンなど総掛かりで持ちこたえる。幸いロストはなし
  • 早い段階で要塞が出来上がったのがかなり大きかった

ギリシャ

  • ドロモン4体がかりでミストラを護衛するも何故かヴァンダルが全く向かって来なかった。

アナトリア半島東部

  • トレビゾンド、テオドシスポリス、メリテネ、エデッサはあっさり陥落。うち2都市はフンに渡した
  • アマスィヤにはフンが来なかったので防衛に成功。アンティオキアは要塞で粘りながら戦闘弓を揃えて反攻

アナトリア半島南部

  • 投入した兵力のおかげでセレウキアの防衛に成功。ヴァンダル軍を掃討。

中盤以降の展開

バルカン半島(北西)とアナトリア半島(東、北東)の都市を奪還していく。 ゴートは奪った都市と本国の連絡が悪いのである程度兵力を揃えれば奪還できる。 東側はササン朝ペルシャに奪われたエデッサ、メリテネを奪還後、ササン朝の本土に殴りこんで都市を侵略していく。 今回はフンに奪われた都市の奪還は後回しにした。 都市を奪還する兵力の目安としては、戦闘弓五体以上+カタパルト1台以上+前衛2体以上+大将軍(特に東側)あたりだろうか。 北西に大将軍が到達できるのはだいぶあとになるのでそのぶんユニットを多少犠牲にする必要がある。進軍力に優れるフンやペルシャよりもよほど守りやすいので多少の損耗はなんとかなる。 手強いのはとにかくペルシャであり、特にメリテネは奪われた後南側からの奪還が難しいとても嫌らしい地形になっているので半端な戦力を投入すると損害が増える。 メリテネ奪還後、東側にある都市アミダに攻めこむことになるが、こちらは道路がない上に丘陵ばかりで非常に移動しづらく、相手は黄金時代ボーナスでガンガン進軍してくる。 雑に進軍するとあっという間に蹴散らされるので、道路や要塞を建造しながらじわじわ前線を上げる必要がある。 大将軍の城塞も1人分アミダ攻略に使用した。 アミダはメリテネ側からは丘陵だらけだが、アミダから他のペルシャの都市には土地が平らな上に道路も敷かれており、あっという間に増援が到着するので非常に守りにくい。 陥落した後でも何回か奪還されるリスクを考慮する必要がある。城塞も都市に直にくっつけると奪われてしまうので、1マス離したほうがよいかもしれない。 北西は都市を奪還した後、ユニットを持て余していたのでひたすら待機させていたが、西ローマがボコボコ都市を落とされるので腰を据えて増援を送ってやったほうが良い。 西ローマはバリスタ(投石器)をやたらと量産するせいで敵の前衛ユニットにあっという間に兵力を溶かされるクソ用兵をやらかすので、介入するだけでユニットの持ちがだいぶよくなる。 暇をしているドロモンも活用して奪われた都市を奪還しよう。 序盤から全力でユニットを生産し、損耗を防げば前線はユニットが渋滞を起こすくらいの兵力が集まるのでそうしたらサーカスや市場を建設して内政力を徐々に確保していく。 首都など生産力に優れた都市は兵舎を作ってもいいだろう。

終盤の展開

終盤まで来ると蛮族勢力が社会制度「宿命の軍勢」を習得して非常に戦いにくくなる。 今回はそれまでにゴートをほぼ空気化し、フンは仕事してないのでこの制度を未習得だったが、西ローマをボコっていたフランクとヴァンダルがこの制度で勢いづいていたのが厄介だった。 特にヴァンダルは思い出したかのように兵力を集めて海から攻めてくることがある。今回はガラ空きだったキレネを落とされたのでオートセーブに甘えて5ターン巻き戻して対策する羽目になった。 ただ、ここまで至っても大将軍ボーナス、要塞ボーナス、レベルアップの昇進を組み合わせれば十分戦うことができる。逆に言えばそれらが整っていない状態でやりあってはいけない。 極端な不幸などは論外である(今回は幸い1回も幸福-10を下回らなかった)。 対ペルシャは兵力の損耗が激しく、相手の首都を陥落させるまでには至らなかったが主要な都市を3都市占領し、1都市を一時的に奪って人口をガタ落ちさせたのでスコアで上回ることができた。 また、ペルシャでもたもたしてしまったせいでフン相手にトレビゾンドとテオドシスポリスを奪還するのが非常に手間取ってしまい、結局きっちり奪還できたのは残り2ターンまで迫った時だった。 社会制度の面では、4つ目の社会制度を取る必要があったため、社会基盤の不整備を選択。ちょい黒字くらいの財政が一気に大赤字になってしまったが、残り10数ターンであったため、それまで稼いでいた現金と略奪による収入、ユニット消耗による維持費の低減でなんとか乗り切った。 70ターン経過後、西ローマと合わせたポイントで他の文明に勝利し、「ローマよ、永遠なれ」が解禁された。

攻略のポイント

序盤から中盤でいかによい流れを作れるかにかかっている。死守すべき都市を守り、高級資源の略奪を防ぎ、前線の兵力を充実させる。 大体30ターンくらいまでよい状況を整えることができればあとは兵力を大崩れさえさせなければ流れで進めることができるだろう。

*1:ただし厳選はできず、同じランダムシードであればセーブリセットしても結果は変わらない

論理と価値観

私が高専を出てから仕事を始め、頭を悩ませたもののうち、上位にランクインするのが「論理的に考えて表現すること」である。 高専で何をやっていたんだと思われるかもしれないが、成績も教員受けもよく、正直なところ、自分は論理的に考えることができる人間だと思っていた。 今思い返すと、あれは授業で習ったことをパターン化してオウム返ししていただけに過ぎなかったし、教員は同じ授業を幾度と無くやってパターンがわかっているのでそれに則って評価していただけだから相当にハイコンテクストなものであったと言えるだろう。

論理性にもいろいろあるが、特に難しかったのが、「問題の深掘り」と「話を筋道立てて説明すること」であり、説明が飛躍していると言われることはしょっちゅうであった。 今思い返すと、純粋のその能力がなかったのだと考えざるを得ない。仕事内容がミスマッチしていてあまりモチベーションが保てなかったことや種々のストレスも思考を妨げたであろう。「なんでこんなくだらないことを突き詰めて考えないといけないんだ」という不平が相当強かったことを覚えている。

論理性を身につけるための訓練は正直苦痛だった。仕事の文書で「ここ話が繋がっていないよ」と指摘をされてもなぜ繋がっていないのか、話が繋がっているところとの違いはなんなのか考えても考えてもわからなかった。20過ぎてから思考体型を塗り替えるのは本当に苦痛だった。 その中で役に立ったのは、紛失したが論理なんちゃらトレーニングみたいな書籍と、BLOGOSでブログを片っ端から読むことと、匿名掲示板で荒らしと喧嘩することであった。だが不幸なことに、これらの結果がある程度実ったのはメンタルを壊し、引きこもって時間を持て余していた時であった。

論理性を身につけてわかった重要な事がある。「世の中は論理的に考えることができない人間のほうが多い」ということである。特に、同じ組織で同じ仕事を数十年続けて休みの日にはTVとパチンコくらいしかやることのない人間が思考を突き詰められるわけがないのである。もちろん、そういった人間にも当然生業として得意とする領域が存在するが、よく観察してみると思考に「前例主義」「権威主義」「思考の飛躍」「自己矛盾」「ダブルスタンダード」といった非論理的な要素がありありと浮かび上がってくる。そして、そういう人間は「目下」からの進言は受け入れない。東京の会社で自分の論理性のなさに散々悩まされたと思ったら地元で他人の論理性のなさに悩まされたのである。

そしてそういう人間を観察して気づいたが、彼らも常に破綻しているわけではなく、論理性がない部分には一定の法則があることが見えてきた。例えば、権威主義の人間は権威のない人間の意見には反発するが、同等以上の立場を持った人間からの発言であれば同じ内容でも聞き入れることがある。ようは意見の中身ではなく、言っている人間のステータスで意思決定しているのである。ただ、権威のある人間は実力があるという仮定に基づけばそういう考え方も完全に誤っているわけではない。ようは、価値判断する上で重要視する重み付けのパラメータが違うのである。

最も大切なことは、「その人が論理的でない判断をする部分に論理をぶつけて誤りを正そうとするのは極めてコストが高くつく」ということである。お互いに相手の争いを指摘するうちにヒートアップして言い争いになった例を幾度と無く見てきた。私の場合は身内という最も近い立場の人間と散々争ったことで一定の妥協をしないと収拾がつかないことを学習せざるを得なくなったのである。人間は所詮は動物なので論理だけで思考することはできない。故に立場やメンツに気を使ったり、言い方がソフトになるように気をつけたり、代替案を用意したりと話を円滑に進めるために工夫をする必要がある。論理だけで相手をねじ伏せるのには憧れるが、残念ながら今生ではそのような振る舞いが許される舞台はなさそうである。

ポリティカル・コレクトネスVS表現の自由

結論を先に述べると、私は表現の自由をより重んじる。

最近、ポリティカル・コレクトネスという言葉を耳にすることが増えてきた。実際に考慮する場合にはこの言葉自体よりも「○○の人に配慮」といった用語を用いるだろうか。 まず、大辞林より定義を引用する。

ポリティカルコレクトネス【political correctness】 アメリカで,性・民族・宗教などによる差別や偏見,またそれに基づく社会制度・言語表現は,是正すべきとする考え方。政治的妥当性。 PC 。

原則論としては賛成だ。持って生まれたものをあげつらうべきではないし、不当に相手を傷つけるようなことは慎むべきだ。 しかし一方で、最近はこれに違和感を抱くことが増えてきた。端的に言うと、「文化的多数派としての権利が脅かされていると確信した」と言うべきだろうか。

例えば、諸外国では近年はクリスマスを他宗教に配慮して「ハッピー・ホリデーズ」と呼ぶという。 キリストの生誕祭がもとなので唯一神を崇める上で競合するイスラム教などに配慮する必要があるのだろう。 この辺は仏教と神道でごちゃ混ぜになっている上に儒教キリスト教といった他教の風習を換骨奪胎して取り込む日本人の感覚とは相当異なる。 イスラム教自体は原理主義者でもない限りは他宗教にかなり寛容とはよく言われる*1が、一方でムスリムとしてのアイデンティティに重きをおく人が多いようだ。

私はパブリックな空間でポリティカル・コレクトネスを重視すべきだという考え方はよいと思うが、個々のメディア・コンテンツに踏み込んで「言葉狩り」を行うことについては不快感を覚える。 過去にはムハンマドの風刺画を掲載した新聞がイスラム社会から大バッシングを受け、複数のテロが発生したこともあった。 それ自体は偶像崇拝を禁じる宗教への侮辱かもしれないが、その陰には良心的なコンテンツが山ほど「自粛」していることを忘れてはならない。 例えば過去に存在した偉人を取り上げるゲームのようなコンテンツは多く存在するが、イスラム帝国オスマン帝国の人物が取り上げられることはほぼない。歴代のカリフの姿を描くことでさえ宗派によっては偶像崇拝にあたるという*2

私は表現の自由を優先する以上、ヘイトは法規制すべきではないという立場を取る。 ヘイトの善悪を問えばそれは悪であろう。しかし、ヘイト規制を訴える勢力が敵対者には脅迫や中傷も辞さないダブルスタンダードを行っていることから、恣意的に法を利用して気に入らなものだけをヘイトとみなす運用をする疑いが強いからだ。

表現の自由は常に「自粛」「配慮」との戦いであり、こと「二次創作を守る」ことや「児童ポルノと二次元のポルノは違う」などといった件に関して言えば近年は理解が深まってきたと言えるが、私の考えではまだ足りない。 もっとも、私の理想である「表現の自由に一切の制限がなく、万象を評し、ネタにし、笑い飛ばすことができる」ことは大多数の人にとってはよしとしないであろう。 さすがにそれを旗印にして理解を求める自信はないが、表現の自由に関しては今以上に拡大すべきであるという考え方が少しでも広まるといいなと思う。

*1:オスマン帝国も支配したヨーロッパの住民に従来の信仰を許したという

*2:海外ゲームであれば「Civilization」などはイスラム国家の指導者も登場させる

社会人が2週間で電通大夜間主に編入できてしまった話

この記事はUEC Advent Calendar 2015 - Adventar17日め記事です。 ずっと書こう書こうと思って数ヶ月寝かせてきた文章が混じってますがご了承のほどを。

入学まで

どうして編入しようと思ったのか

27歳の誕生日を迎えて少し経つ2014年10月下旬、当時働いていた常駐SEがキャリア的な伸びしろが厳しいと感じたのと、最終学歴が高専卒なので大卒取って院に入れる選択肢を持ちたいと思っていた。 いつかは大学編入を企てようと思っていたが、正直学部レベルの勉強のために正社員の職歴をストップさせるのか、とか学費や生活費まで含めた金貯められねえという懸念もあった。 (自分の場合新卒で大企業ドロップアウトルートが確立しているので、奨学金出してまで大学行くのは投資対効果が見合わないと考えた) そんな時に電通大夜間の存在を知り、投入リソースと投資対効果的にこれだと思った。しかもまだ今年度受験できる。 この時2014年10月27日。編入学試験願書提出締め切りまであと9日である。 まずはダメ元で受験してみよう。受けれるんだから仕方がないと7割くらいは記念受験の心境だった。

願書提出

母校と交渉

今回の編入学は事実上これがハイライトである。 全然時間がないのに願書すら手元にない。テレメールで願書を請求しつつ状況を整理する。 Webで見ることができるPDFの受験要項によると、母校に調査書を作ってもらう必要がある。 ここが明らかにボトルネックになり、かつ母校のWebページによると作成に2週間かかるとのこと。 しかもWebやメール、電話での受付はダメで、調査書の場合は封書もダメ。つまり窓口に行くしかないのだ。 普通に考えたら詰んでるのだが、こっちだって仮にも社会人として揉まれてきたのでこれで諦めるような性根ではない。 まずは担当に電話して相談してみよう。

会話要約

私「卒業生の甲斐と申します。以前の専攻科入試の際はお世話になりました(24歳くらいの時に専攻科入試して落ちた経験あり)。実は大学編入で調査書が必要なんですが締め切りが非常にギリギリ…というかほとんど無理なスケジュールなので相談させてください」

明らかな無茶振りで横柄な態度は取れない。下手に出る。

教務「締め切りと様式を教えて下さい」

私「11/5必着で、様式は今取り寄せ中で手元にないのでわかっていません」

教務「調査書は決裁を取らないといけないので約束通りにできる保証はないが善処する。成績証明は先に作っておくから、調査書が手元に届いたらFAXで送ってもらえないか。窓口でないと申請は受けられないが事前に情報を集めておく」

私「よろしくお願い致します」

やってみるものである。 無茶に対するせめてものお礼に母校の教務には土産を買って申請時にお渡しした。

最小有給法による母校訪問スケジュール

申請に関して一応の目処は立った。 恐らくは母校に申請で1度、作った調査書を受け取りに1度で2回行くことになるだろう。 本番の試験でも2日有給取らざるを得ないことを考えたらここで徒に有給を浪費できないし、仕事に支障を作ったら本チャンで休みを取りづらくなってしまう。 朝が弱いので始発のような無理はできるだけしたくない。ここは実家が母校に近く、2時間で帰省できる地の利を活用する。 結局有給の配分は午前休×2とし、前日の夜に実家に帰って一泊し、朝母校で手続きを終えたらその足で特急に乗って福岡に戻って午後から仕事する×2という極限スケジュールになってしまった。 このスケジュールの欠点は明らかに不自然な動きなので実家に帰省の目的として編入試験の受験を教えざるを得なかったことである。当然の如く反対された。 しばらく顔を見せなかった息子が実家に寝るだけのために戻ってきたかと思ったら「俺、大学受けるんで」とか言い出したことを考えると父の心中察するに余りある(しかももう自分が息子を産んだ年齢で独身である)が、ここでは考慮しないものとする。

ポスト投函について

地元から願書を郵送すると速達でも1日以上かかってしまうが、博多郵便局だと翌日には着くのでポスト投函は福岡で行いたい。 そうすると先程の日程で福岡に戻る際に郵便局に立ち寄れるのできれいな流れになる。しかもギリギリ午前中の投函になる。 もちろん、願書の他の項目は事前に準備しておき、調査書を受け取ったら即投函できるようにしておく。

時系列で整理

10/27:編入の企てを決意する。テレメールで願書取り寄せ。夜にTwitter仲間に過去問送付依頼。

10/28:過去問送付の連絡を受ける。仕事の合間を縫って電話で母校と調整。

10/29:過去問到着。願書がまだ来なくてそわそわする。実家に帰省の連絡。

10/30:願書到着。調査書フォーマットを母校にFAX。家で願書記入を進めてから深夜に実家に帰省。

10/31:朝イチに母校行って調査書作成依頼。途中郵便局で受験料を支払い特急で博多に戻る。午後仕事してると調査書ができた連絡を受ける。

11/1~11/3:学校は休み。焦ってもしょうがないので過去問対策する。3日の夜に帰省。

11/4:調査書を回収。昼前に福岡に戻って願書をポスト投函し、何事もなかったかのように仕事に戻る。

受験対策

編入学の問題は「総合問題」とかいうふにゃっとした名前がついているが、要は英語と数学と物理である。 英語はTOEIC対策でいけるだろうと踏んでほぼノータッチ。数学と物理は編入試験で落ちた経験があるので一応基礎レベルは意外と脳に残っていた。 ただ、それでも明らかに日数が足りない。過去問を中心にヤマを張っていくしか無いと決心する。 あと過去のデータ的にもあまり合格率がよいとは言えなそうだったのでダメもとと腹をくくる。

受験当日

府中に宿をとって数年ぶりの上京。府中で降りる人多いなと思ったがのちに東芝の膝下であったと知る。 面接用にスーツで来たら革靴に疲れたのでドンキでカジュアルのシューズを買う。

筆記試験

ヤマが外れて青ざめる。問題の傾向は固まっていないので広く浅く抑えておいたほうがよいと思われる。 わからない問題をわからないなりにこねくり回すのは超得意なので取りあえず解答欄全部埋める。 それでも感触的には5割程度。面接バックレようかという発想が一瞬脳裏をよぎった。

面接

それでも受けるだけは受ける。 学士の学歴が欲しいこと、研究面でも未練があること、現在職があるが入学に伴って転職するつもりであることを話す。

夜間は留年・退学率が高いことからその点を心配されて突っ込まれる。 ある教授からプログラミングの勉強がしたいなら独学すればいいのであって大学来る必要ないのではと突っ込まれる。 これは実際その通りなのでかなり答えに窮したが、将来的な大学院進学への道筋をつけるという切り返しで乗り切った。

格通

合格発表の日は朝からさっぱり仕事が手につかなかった、 電通大のWebページからPDFをチェックし、自分の番号を見つけた時は喜びというよりも安堵の溜息が漏れた。

退職

揉めに揉めた。 かなり前から打診していたにも関わらず、要員不足だのプロジェクトが燃えただのあって退職日当日までバタバタしていた。

入学してから

仕事

特に2014年はRailsご無沙汰だったせいもあって上京してから就職した会社では迷惑しかかけられなかった。 今はある会社に業務委託でお世話になっているが、1日6時間のおかげで体力的にも金銭的にも死なずに済んでいる。

食生活

何を食っても(高い または まずい)ので精神に良くない。 ゲーセンをやめて浮かせた金でデパ地下通いがマイブーム。 帰省するときには必ず博多に寄って食事を楽しむと決めた。

学業

もう少しGPA欲しかったなと思うくらいで上々。 地力で殴りかかるだけでは力不足な科目がなんだかんだそれなりに存在する。 かつて高専のテストでトップ争いをやった時の燃え上がるような感覚に戻れないのはなんだかんだで寂しいものがある(多分一度メンタル壊したのも関係してる)。 あと強いて言えば土曜の一限は睡眠時間が足りなくて死にそうになるので勘弁して欲しい。

単位認定

凄まじく大変だった。 夜間の全科目と高専の全科目を対照させながら対応するカリキュラムを申請する必要があった。シラバス相当読み込んだと思う。 特に、下級生の実験なんぞ今更やってる時間はないので確実に取るようにしておきたい。 「この分野割り当てられる科目がないんですけど…」と教授に泣きついて割り当てる科目を相談することもザラにある。 (この科目絶対対応しないよな)と思ってもガンガンふっかけていくべき。 基礎科学実験は物理や化学の実験がなかったのでだいぶ調整に苦労したが、夜間ということで大目に見てもらって高専の実験科目を当てはめた。 ちなみにK課は高専と同様に必修科目がほとんどで選択科目は消去法に近い形式なので、必修科目を優先したほうが良い。 確か59単位認定で、出したものは全部通った。もう数単位あったら楽だったんだけど。

総評

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

コナミと小島秀夫監督の関係について考える

METAL GEAR」シリーズを始めとした数々な作品を送り続けてきたゲームクリエイターである小島秀夫氏と、所属企業であるコナミとの対立が表面化している。 これらはメディアを通して見ることができる情報だけでも、小島プロダクション閉鎖、新作での小島プロダクションのロゴの削除、The Game Awards 2015への出席を拒否する社内命令など、枚挙に暇がない。

コナミはゲームメーカーの中でも利益を重視する姿勢が強く、だからこそ今まで生きてこられた企業とも言える。 この日経の記事にもあるが、経営にあたる創業者がゲーム事業を「恥ずかしいこと」として捉えているのは任天堂セガなど、競合他社とは一線を画す。

www.nikkei.com

言うまでもなく、資本主義社会で企業に求められているのは利益を計上することである。その点においてはコナミが利益率のよいソーシャルゲームを重要視することやフィットネス事業などに多角化することを責めることはできない。 一方でコンシューマゲームを取り巻く環境は年々厳しさを増し、開発費がかかるにも関わらず市場が縮小して利益が出ない事業と化してしまっている。 特に小島監督は評価の高いクリエーターである一方で多額の開発費を惜しまない点では事業家としては問題があるのかもしれない。

しかし私はこの件でコナミという会社を評価することはできない。利益を求める姿勢を批判するつもりはないが、この20年培ってきた家庭用ゲームというコアコンピタンスを余りにも軽視しているからだ。 同様の問題を抱える企業にソニーが挙げられる。かつては黒物家電の雄であった会社であるが、時代の流れとともにPC事業を売却し、モバイルやTVも苦戦し今やグループで成績の良い事業は銀行や保険といった有様である。こうなってくると一体何の会社かわからない。

リスクヘッジ事業拡大の観点で経営を多角化することはよいことであろうが、それぞれがシナジーを生み出さないと巨大な企業体はお互いに足を引っ張り合ってしまう。*1

コナミの場合は家庭用ゲームやアーケードゲームで培ってきたブランドをモバイルゲームに投入するのは順当なシナジーと言えるだろう。だが、フィットネス事業はどうだろうか。 Wikipediaによると、フィットネスマシンの開発にもコナミがゲーム事業で培った技術が生かされており、IT健康管理システム・e-エグザスを導入している。*2とのことである。当面は利益を維持し続けられるだろうが、先に述べた小島監督をThe Game Awards 2015へ出席拒否した件では海外ゲーマーからの極めて強い反発があり、Twitterのトレンドキーワードは"FuckYouKONAMI"で埋め尽くされた。ゲーム事業やこれまで育んできたユーザーを軽視する姿勢を崩さないままコナミが企業としての強さが維持できるのか筆者には大いに疑問である。