Green Fortress

プログラマーのポエム隔離所

技術者から経営者へのキャリアチェンジについて

数日前に中央大学の竹内先生の記事がバズった。 d.hatena.ne.jp

読んでいて思い当たるフシはあるが、どうにも納得出来ないという、もやもやした読後感なので本稿で取り上げることにした。

まず引っかかるのは、経営で負けていたかもしれない、技術で負けていたかもしれない、とあれこれ原因を模索しているところで、技術者に対してやるべきことがあったのではと提言しているが、経営に対しては「経営で負けたのならば、優秀な技術者は弱点である経営を助ける仕事になぜ転換しなかったのか」なのに対して技術に対しては「技術という狭い世界に閉じこもっていたことを、反省しなければいけないのではないでしょうか」といった風に対応が取れていない。 基本的には技術者が専門に閉じこもり過ぎていたのではというのを批判している記事なのでそれは仕方ないのだが、半導体分野で日本が遅れを取ったことによる先生の悔恨を「とにかくなんでもいいからうまくいってくれよ」という駄々をこねられているような印象を受ける。 見知った人間であればそういう駄々にも耳を貸さねばならないだろうが、そうでもない上に分野違いの端くれとはいえ仮にも技術者として身を置いているので「技術者は○○すべきだ」というコンテキストを投げかけられて、それが自分の意にそぐわない場合には不快感を覚えてしまうのだ。

私が不快感を覚えた理由としては、「なんで負け組になりつつある企業の経営を舵取りして敗戦処理しなくちゃならんのだ」という点である。 先生が例示するシリコンバレー企業のように、競争に敗北した企業は潔く潰れて新たな企業が生まれる新陳代謝を促進させるべきではないのか。 また、技術者が経営者としてのキャリアを~という箇所で先生が使っている言葉は「学ばせ」「歩ませ」といった風に一貫して使役形になっている。 その点でも組織の枠に自分を合わせるやり方*1を連想してしまい、組織がどうなろうと知ったことではないが個々人の欲求の達成を重んじる自分に取っては心理的に受け入れられないのだろう。

さて、自分の考えはさておき、先生が言う技術者から経営者に移った事例として思い浮かぶのは故・岩田聡任天堂社長である。 氏は家庭用ゲーム黎明期においては伝説的なプログラマーであったことが今も伝えられているが、山内溥元社長(同じく故人)によって社長に抜擢され、経営のイロハを叩きこまれたと言われている。

経営者としての岩田氏の評価は去年亡くなった際に株価が上昇したように市場が要求するスマホ市場への参入に対し慎重な姿勢は投資家に不人気であった*2。 しかし、ユーザー目線を大事にし、経営者になってからもゲーマー、プログラマーとしての自分をアピールする姿は往年の任天堂ファンの心を掴み続けた。 そういう意味では技術者から経営者に転身することにも意義はあるかもしれない。 しかし、岩田氏を話題にする上で「彼がもし技術者であり続けたら」、「彼は社長になってからもプログラムを書きたがっていたのではないか」といった内容は必ず挙がってくると言ってもいい。どちらが幸せだったかというのは当然本人にしかわからないが、私の目線では、どうしても勿体無いことのように感じる。

唯一望むことがあるとすれば、岩田氏が「社長をやらされた」のではなく、「やりたくて社長をやった」のであって欲しいと思う。

*1:東芝で働かれたことがある竹内先生はよくご存知であろう

*2:個人的にはこの点では任天堂の姿勢が正しかったと思うが、DSやWii末期にコンテンツに精彩を欠いていたのは間違いなかったと思う