Green Fortress

プログラマーのポエム隔離所

ポリティカル・コレクトネスVS表現の自由

結論を先に述べると、私は表現の自由をより重んじる。

最近、ポリティカル・コレクトネスという言葉を耳にすることが増えてきた。実際に考慮する場合にはこの言葉自体よりも「○○の人に配慮」といった用語を用いるだろうか。 まず、大辞林より定義を引用する。

ポリティカルコレクトネス【political correctness】 アメリカで,性・民族・宗教などによる差別や偏見,またそれに基づく社会制度・言語表現は,是正すべきとする考え方。政治的妥当性。 PC 。

原則論としては賛成だ。持って生まれたものをあげつらうべきではないし、不当に相手を傷つけるようなことは慎むべきだ。 しかし一方で、最近はこれに違和感を抱くことが増えてきた。端的に言うと、「文化的多数派としての権利が脅かされていると確信した」と言うべきだろうか。

例えば、諸外国では近年はクリスマスを他宗教に配慮して「ハッピー・ホリデーズ」と呼ぶという。 キリストの生誕祭がもとなので唯一神を崇める上で競合するイスラム教などに配慮する必要があるのだろう。 この辺は仏教と神道でごちゃ混ぜになっている上に儒教キリスト教といった他教の風習を換骨奪胎して取り込む日本人の感覚とは相当異なる。 イスラム教自体は原理主義者でもない限りは他宗教にかなり寛容とはよく言われる*1が、一方でムスリムとしてのアイデンティティに重きをおく人が多いようだ。

私はパブリックな空間でポリティカル・コレクトネスを重視すべきだという考え方はよいと思うが、個々のメディア・コンテンツに踏み込んで「言葉狩り」を行うことについては不快感を覚える。 過去にはムハンマドの風刺画を掲載した新聞がイスラム社会から大バッシングを受け、複数のテロが発生したこともあった。 それ自体は偶像崇拝を禁じる宗教への侮辱かもしれないが、その陰には良心的なコンテンツが山ほど「自粛」していることを忘れてはならない。 例えば過去に存在した偉人を取り上げるゲームのようなコンテンツは多く存在するが、イスラム帝国オスマン帝国の人物が取り上げられることはほぼない。歴代のカリフの姿を描くことでさえ宗派によっては偶像崇拝にあたるという*2

私は表現の自由を優先する以上、ヘイトは法規制すべきではないという立場を取る。 ヘイトの善悪を問えばそれは悪であろう。しかし、ヘイト規制を訴える勢力が敵対者には脅迫や中傷も辞さないダブルスタンダードを行っていることから、恣意的に法を利用して気に入らなものだけをヘイトとみなす運用をする疑いが強いからだ。

表現の自由は常に「自粛」「配慮」との戦いであり、こと「二次創作を守る」ことや「児童ポルノと二次元のポルノは違う」などといった件に関して言えば近年は理解が深まってきたと言えるが、私の考えではまだ足りない。 もっとも、私の理想である「表現の自由に一切の制限がなく、万象を評し、ネタにし、笑い飛ばすことができる」ことは大多数の人にとってはよしとしないであろう。 さすがにそれを旗印にして理解を求める自信はないが、表現の自由に関しては今以上に拡大すべきであるという考え方が少しでも広まるといいなと思う。

*1:オスマン帝国も支配したヨーロッパの住民に従来の信仰を許したという

*2:海外ゲームであれば「Civilization」などはイスラム国家の指導者も登場させる