Green Fortress

プログラマーのポエム隔離所

論理と価値観

私が高専を出てから仕事を始め、頭を悩ませたもののうち、上位にランクインするのが「論理的に考えて表現すること」である。 高専で何をやっていたんだと思われるかもしれないが、成績も教員受けもよく、正直なところ、自分は論理的に考えることができる人間だと思っていた。 今思い返すと、あれは授業で習ったことをパターン化してオウム返ししていただけに過ぎなかったし、教員は同じ授業を幾度と無くやってパターンがわかっているのでそれに則って評価していただけだから相当にハイコンテクストなものであったと言えるだろう。

論理性にもいろいろあるが、特に難しかったのが、「問題の深掘り」と「話を筋道立てて説明すること」であり、説明が飛躍していると言われることはしょっちゅうであった。 今思い返すと、純粋のその能力がなかったのだと考えざるを得ない。仕事内容がミスマッチしていてあまりモチベーションが保てなかったことや種々のストレスも思考を妨げたであろう。「なんでこんなくだらないことを突き詰めて考えないといけないんだ」という不平が相当強かったことを覚えている。

論理性を身につけるための訓練は正直苦痛だった。仕事の文書で「ここ話が繋がっていないよ」と指摘をされてもなぜ繋がっていないのか、話が繋がっているところとの違いはなんなのか考えても考えてもわからなかった。20過ぎてから思考体型を塗り替えるのは本当に苦痛だった。 その中で役に立ったのは、紛失したが論理なんちゃらトレーニングみたいな書籍と、BLOGOSでブログを片っ端から読むことと、匿名掲示板で荒らしと喧嘩することであった。だが不幸なことに、これらの結果がある程度実ったのはメンタルを壊し、引きこもって時間を持て余していた時であった。

論理性を身につけてわかった重要な事がある。「世の中は論理的に考えることができない人間のほうが多い」ということである。特に、同じ組織で同じ仕事を数十年続けて休みの日にはTVとパチンコくらいしかやることのない人間が思考を突き詰められるわけがないのである。もちろん、そういった人間にも当然生業として得意とする領域が存在するが、よく観察してみると思考に「前例主義」「権威主義」「思考の飛躍」「自己矛盾」「ダブルスタンダード」といった非論理的な要素がありありと浮かび上がってくる。そして、そういう人間は「目下」からの進言は受け入れない。東京の会社で自分の論理性のなさに散々悩まされたと思ったら地元で他人の論理性のなさに悩まされたのである。

そしてそういう人間を観察して気づいたが、彼らも常に破綻しているわけではなく、論理性がない部分には一定の法則があることが見えてきた。例えば、権威主義の人間は権威のない人間の意見には反発するが、同等以上の立場を持った人間からの発言であれば同じ内容でも聞き入れることがある。ようは意見の中身ではなく、言っている人間のステータスで意思決定しているのである。ただ、権威のある人間は実力があるという仮定に基づけばそういう考え方も完全に誤っているわけではない。ようは、価値判断する上で重要視する重み付けのパラメータが違うのである。

最も大切なことは、「その人が論理的でない判断をする部分に論理をぶつけて誤りを正そうとするのは極めてコストが高くつく」ということである。お互いに相手の争いを指摘するうちにヒートアップして言い争いになった例を幾度と無く見てきた。私の場合は身内という最も近い立場の人間と散々争ったことで一定の妥協をしないと収拾がつかないことを学習せざるを得なくなったのである。人間は所詮は動物なので論理だけで思考することはできない。故に立場やメンツに気を使ったり、言い方がソフトになるように気をつけたり、代替案を用意したりと話を円滑に進めるために工夫をする必要がある。論理だけで相手をねじ伏せるのには憧れるが、残念ながら今生ではそのような振る舞いが許される舞台はなさそうである。

ポリティカル・コレクトネスVS表現の自由

結論を先に述べると、私は表現の自由をより重んじる。

最近、ポリティカル・コレクトネスという言葉を耳にすることが増えてきた。実際に考慮する場合にはこの言葉自体よりも「○○の人に配慮」といった用語を用いるだろうか。 まず、大辞林より定義を引用する。

ポリティカルコレクトネス【political correctness】 アメリカで,性・民族・宗教などによる差別や偏見,またそれに基づく社会制度・言語表現は,是正すべきとする考え方。政治的妥当性。 PC 。

原則論としては賛成だ。持って生まれたものをあげつらうべきではないし、不当に相手を傷つけるようなことは慎むべきだ。 しかし一方で、最近はこれに違和感を抱くことが増えてきた。端的に言うと、「文化的多数派としての権利が脅かされていると確信した」と言うべきだろうか。

例えば、諸外国では近年はクリスマスを他宗教に配慮して「ハッピー・ホリデーズ」と呼ぶという。 キリストの生誕祭がもとなので唯一神を崇める上で競合するイスラム教などに配慮する必要があるのだろう。 この辺は仏教と神道でごちゃ混ぜになっている上に儒教キリスト教といった他教の風習を換骨奪胎して取り込む日本人の感覚とは相当異なる。 イスラム教自体は原理主義者でもない限りは他宗教にかなり寛容とはよく言われる*1が、一方でムスリムとしてのアイデンティティに重きをおく人が多いようだ。

私はパブリックな空間でポリティカル・コレクトネスを重視すべきだという考え方はよいと思うが、個々のメディア・コンテンツに踏み込んで「言葉狩り」を行うことについては不快感を覚える。 過去にはムハンマドの風刺画を掲載した新聞がイスラム社会から大バッシングを受け、複数のテロが発生したこともあった。 それ自体は偶像崇拝を禁じる宗教への侮辱かもしれないが、その陰には良心的なコンテンツが山ほど「自粛」していることを忘れてはならない。 例えば過去に存在した偉人を取り上げるゲームのようなコンテンツは多く存在するが、イスラム帝国オスマン帝国の人物が取り上げられることはほぼない。歴代のカリフの姿を描くことでさえ宗派によっては偶像崇拝にあたるという*2

私は表現の自由を優先する以上、ヘイトは法規制すべきではないという立場を取る。 ヘイトの善悪を問えばそれは悪であろう。しかし、ヘイト規制を訴える勢力が敵対者には脅迫や中傷も辞さないダブルスタンダードを行っていることから、恣意的に法を利用して気に入らなものだけをヘイトとみなす運用をする疑いが強いからだ。

表現の自由は常に「自粛」「配慮」との戦いであり、こと「二次創作を守る」ことや「児童ポルノと二次元のポルノは違う」などといった件に関して言えば近年は理解が深まってきたと言えるが、私の考えではまだ足りない。 もっとも、私の理想である「表現の自由に一切の制限がなく、万象を評し、ネタにし、笑い飛ばすことができる」ことは大多数の人にとってはよしとしないであろう。 さすがにそれを旗印にして理解を求める自信はないが、表現の自由に関しては今以上に拡大すべきであるという考え方が少しでも広まるといいなと思う。

*1:オスマン帝国も支配したヨーロッパの住民に従来の信仰を許したという

*2:海外ゲームであれば「Civilization」などはイスラム国家の指導者も登場させる

社会人が2週間で電通大夜間主に編入できてしまった話

この記事はUEC Advent Calendar 2015 - Adventar17日め記事です。 ずっと書こう書こうと思って数ヶ月寝かせてきた文章が混じってますがご了承のほどを。

入学まで

どうして編入しようと思ったのか

27歳の誕生日を迎えて少し経つ2014年10月下旬、当時働いていた常駐SEがキャリア的な伸びしろが厳しいと感じたのと、最終学歴が高専卒なので大卒取って院に入れる選択肢を持ちたいと思っていた。 いつかは大学編入を企てようと思っていたが、正直学部レベルの勉強のために正社員の職歴をストップさせるのか、とか学費や生活費まで含めた金貯められねえという懸念もあった。 (自分の場合新卒で大企業ドロップアウトルートが確立しているので、奨学金出してまで大学行くのは投資対効果が見合わないと考えた) そんな時に電通大夜間の存在を知り、投入リソースと投資対効果的にこれだと思った。しかもまだ今年度受験できる。 この時2014年10月27日。編入学試験願書提出締め切りまであと9日である。 まずはダメ元で受験してみよう。受けれるんだから仕方がないと7割くらいは記念受験の心境だった。

願書提出

母校と交渉

今回の編入学は事実上これがハイライトである。 全然時間がないのに願書すら手元にない。テレメールで願書を請求しつつ状況を整理する。 Webで見ることができるPDFの受験要項によると、母校に調査書を作ってもらう必要がある。 ここが明らかにボトルネックになり、かつ母校のWebページによると作成に2週間かかるとのこと。 しかもWebやメール、電話での受付はダメで、調査書の場合は封書もダメ。つまり窓口に行くしかないのだ。 普通に考えたら詰んでるのだが、こっちだって仮にも社会人として揉まれてきたのでこれで諦めるような性根ではない。 まずは担当に電話して相談してみよう。

会話要約

私「卒業生の甲斐と申します。以前の専攻科入試の際はお世話になりました(24歳くらいの時に専攻科入試して落ちた経験あり)。実は大学編入で調査書が必要なんですが締め切りが非常にギリギリ…というかほとんど無理なスケジュールなので相談させてください」

明らかな無茶振りで横柄な態度は取れない。下手に出る。

教務「締め切りと様式を教えて下さい」

私「11/5必着で、様式は今取り寄せ中で手元にないのでわかっていません」

教務「調査書は決裁を取らないといけないので約束通りにできる保証はないが善処する。成績証明は先に作っておくから、調査書が手元に届いたらFAXで送ってもらえないか。窓口でないと申請は受けられないが事前に情報を集めておく」

私「よろしくお願い致します」

やってみるものである。 無茶に対するせめてものお礼に母校の教務には土産を買って申請時にお渡しした。

最小有給法による母校訪問スケジュール

申請に関して一応の目処は立った。 恐らくは母校に申請で1度、作った調査書を受け取りに1度で2回行くことになるだろう。 本番の試験でも2日有給取らざるを得ないことを考えたらここで徒に有給を浪費できないし、仕事に支障を作ったら本チャンで休みを取りづらくなってしまう。 朝が弱いので始発のような無理はできるだけしたくない。ここは実家が母校に近く、2時間で帰省できる地の利を活用する。 結局有給の配分は午前休×2とし、前日の夜に実家に帰って一泊し、朝母校で手続きを終えたらその足で特急に乗って福岡に戻って午後から仕事する×2という極限スケジュールになってしまった。 このスケジュールの欠点は明らかに不自然な動きなので実家に帰省の目的として編入試験の受験を教えざるを得なかったことである。当然の如く反対された。 しばらく顔を見せなかった息子が実家に寝るだけのために戻ってきたかと思ったら「俺、大学受けるんで」とか言い出したことを考えると父の心中察するに余りある(しかももう自分が息子を産んだ年齢で独身である)が、ここでは考慮しないものとする。

ポスト投函について

地元から願書を郵送すると速達でも1日以上かかってしまうが、博多郵便局だと翌日には着くのでポスト投函は福岡で行いたい。 そうすると先程の日程で福岡に戻る際に郵便局に立ち寄れるのできれいな流れになる。しかもギリギリ午前中の投函になる。 もちろん、願書の他の項目は事前に準備しておき、調査書を受け取ったら即投函できるようにしておく。

時系列で整理

10/27:編入の企てを決意する。テレメールで願書取り寄せ。夜にTwitter仲間に過去問送付依頼。

10/28:過去問送付の連絡を受ける。仕事の合間を縫って電話で母校と調整。

10/29:過去問到着。願書がまだ来なくてそわそわする。実家に帰省の連絡。

10/30:願書到着。調査書フォーマットを母校にFAX。家で願書記入を進めてから深夜に実家に帰省。

10/31:朝イチに母校行って調査書作成依頼。途中郵便局で受験料を支払い特急で博多に戻る。午後仕事してると調査書ができた連絡を受ける。

11/1~11/3:学校は休み。焦ってもしょうがないので過去問対策する。3日の夜に帰省。

11/4:調査書を回収。昼前に福岡に戻って願書をポスト投函し、何事もなかったかのように仕事に戻る。

受験対策

編入学の問題は「総合問題」とかいうふにゃっとした名前がついているが、要は英語と数学と物理である。 英語はTOEIC対策でいけるだろうと踏んでほぼノータッチ。数学と物理は編入試験で落ちた経験があるので一応基礎レベルは意外と脳に残っていた。 ただ、それでも明らかに日数が足りない。過去問を中心にヤマを張っていくしか無いと決心する。 あと過去のデータ的にもあまり合格率がよいとは言えなそうだったのでダメもとと腹をくくる。

受験当日

府中に宿をとって数年ぶりの上京。府中で降りる人多いなと思ったがのちに東芝の膝下であったと知る。 面接用にスーツで来たら革靴に疲れたのでドンキでカジュアルのシューズを買う。

筆記試験

ヤマが外れて青ざめる。問題の傾向は固まっていないので広く浅く抑えておいたほうがよいと思われる。 わからない問題をわからないなりにこねくり回すのは超得意なので取りあえず解答欄全部埋める。 それでも感触的には5割程度。面接バックレようかという発想が一瞬脳裏をよぎった。

面接

それでも受けるだけは受ける。 学士の学歴が欲しいこと、研究面でも未練があること、現在職があるが入学に伴って転職するつもりであることを話す。

夜間は留年・退学率が高いことからその点を心配されて突っ込まれる。 ある教授からプログラミングの勉強がしたいなら独学すればいいのであって大学来る必要ないのではと突っ込まれる。 これは実際その通りなのでかなり答えに窮したが、将来的な大学院進学への道筋をつけるという切り返しで乗り切った。

格通

合格発表の日は朝からさっぱり仕事が手につかなかった、 電通大のWebページからPDFをチェックし、自分の番号を見つけた時は喜びというよりも安堵の溜息が漏れた。

退職

揉めに揉めた。 かなり前から打診していたにも関わらず、要員不足だのプロジェクトが燃えただのあって退職日当日までバタバタしていた。

入学してから

仕事

特に2014年はRailsご無沙汰だったせいもあって上京してから就職した会社では迷惑しかかけられなかった。 今はある会社に業務委託でお世話になっているが、1日6時間のおかげで体力的にも金銭的にも死なずに済んでいる。

食生活

何を食っても(高い または まずい)ので精神に良くない。 ゲーセンをやめて浮かせた金でデパ地下通いがマイブーム。 帰省するときには必ず博多に寄って食事を楽しむと決めた。

学業

もう少しGPA欲しかったなと思うくらいで上々。 地力で殴りかかるだけでは力不足な科目がなんだかんだそれなりに存在する。 かつて高専のテストでトップ争いをやった時の燃え上がるような感覚に戻れないのはなんだかんだで寂しいものがある(多分一度メンタル壊したのも関係してる)。 あと強いて言えば土曜の一限は睡眠時間が足りなくて死にそうになるので勘弁して欲しい。

単位認定

凄まじく大変だった。 夜間の全科目と高専の全科目を対照させながら対応するカリキュラムを申請する必要があった。シラバス相当読み込んだと思う。 特に、下級生の実験なんぞ今更やってる時間はないので確実に取るようにしておきたい。 「この分野割り当てられる科目がないんですけど…」と教授に泣きついて割り当てる科目を相談することもザラにある。 (この科目絶対対応しないよな)と思ってもガンガンふっかけていくべき。 基礎科学実験は物理や化学の実験がなかったのでだいぶ調整に苦労したが、夜間ということで大目に見てもらって高専の実験科目を当てはめた。 ちなみにK課は高専と同様に必修科目がほとんどで選択科目は消去法に近い形式なので、必修科目を優先したほうが良い。 確か59単位認定で、出したものは全部通った。もう数単位あったら楽だったんだけど。

総評

おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

コナミと小島秀夫監督の関係について考える

METAL GEAR」シリーズを始めとした数々な作品を送り続けてきたゲームクリエイターである小島秀夫氏と、所属企業であるコナミとの対立が表面化している。 これらはメディアを通して見ることができる情報だけでも、小島プロダクション閉鎖、新作での小島プロダクションのロゴの削除、The Game Awards 2015への出席を拒否する社内命令など、枚挙に暇がない。

コナミはゲームメーカーの中でも利益を重視する姿勢が強く、だからこそ今まで生きてこられた企業とも言える。 この日経の記事にもあるが、経営にあたる創業者がゲーム事業を「恥ずかしいこと」として捉えているのは任天堂セガなど、競合他社とは一線を画す。

www.nikkei.com

言うまでもなく、資本主義社会で企業に求められているのは利益を計上することである。その点においてはコナミが利益率のよいソーシャルゲームを重要視することやフィットネス事業などに多角化することを責めることはできない。 一方でコンシューマゲームを取り巻く環境は年々厳しさを増し、開発費がかかるにも関わらず市場が縮小して利益が出ない事業と化してしまっている。 特に小島監督は評価の高いクリエーターである一方で多額の開発費を惜しまない点では事業家としては問題があるのかもしれない。

しかし私はこの件でコナミという会社を評価することはできない。利益を求める姿勢を批判するつもりはないが、この20年培ってきた家庭用ゲームというコアコンピタンスを余りにも軽視しているからだ。 同様の問題を抱える企業にソニーが挙げられる。かつては黒物家電の雄であった会社であるが、時代の流れとともにPC事業を売却し、モバイルやTVも苦戦し今やグループで成績の良い事業は銀行や保険といった有様である。こうなってくると一体何の会社かわからない。

リスクヘッジ事業拡大の観点で経営を多角化することはよいことであろうが、それぞれがシナジーを生み出さないと巨大な企業体はお互いに足を引っ張り合ってしまう。*1

コナミの場合は家庭用ゲームやアーケードゲームで培ってきたブランドをモバイルゲームに投入するのは順当なシナジーと言えるだろう。だが、フィットネス事業はどうだろうか。 Wikipediaによると、フィットネスマシンの開発にもコナミがゲーム事業で培った技術が生かされており、IT健康管理システム・e-エグザスを導入している。*2とのことである。当面は利益を維持し続けられるだろうが、先に述べた小島監督をThe Game Awards 2015へ出席拒否した件では海外ゲーマーからの極めて強い反発があり、Twitterのトレンドキーワードは"FuckYouKONAMI"で埋め尽くされた。ゲーム事業やこれまで育んできたユーザーを軽視する姿勢を崩さないままコナミが企業としての強さが維持できるのか筆者には大いに疑問である。

1作で2度美味しい「三ツ首コンドル」

この記事は週刊少年ジャンプ打ち切り漫画 Advent Calendar 2015 - Adventarの6日目…のはずが昨日書くのを失念した大事故により1日遅れでお届けします。本当にごめんなさい。

今回お届けするのは去年ジャンプに連載され、全三巻で打ち切りとなった「三ツ首コンドル」のご紹介です。 この漫画の特徴的なところは最序盤に「どうしようもないクソ漫画」として散々物笑いの種になったにも関わらず尻上がりでクォリティを上昇させ、連載終了間際には少数ながら固定ファンを獲得するに至ったところにあります。*1

そんな本作の軌跡を辿りながら、その魅力について語っていこうと思います。 ちなみに私は連載最序盤から某掲示板に張り付いて定型文の応酬を楽しみ、単行本全巻買ったバリバリのコンドラーです。 あと、要所要所ネタバレしますのでご注意を。

フフフ、概要正確ですよ

かつて「常闇の三大盗」の一人として恐れられた盗賊・マシマロと成り行きで弟子になった少女・スーが全部で59あると言われる「魔女の宝」を集めるために奮闘する冒険譚です。 序盤は宝がなさすぎてパッとしないのですが、終盤は豊富な宝と宝の魔力で能力を持った「魔女の副産物」による華々しい能力バトルの様相を呈してきます。

主人公の一人、マシマロは非常に小柄で子供にしか見えない容姿なのに敬語口調で妙に達観したところのある掴みどころのない男です。 大抵「フフフ、○○ですよ」の形式でしゃべるので口調をエミュるのがかなり簡単だったりします。 職業は盗賊ですがテンプレ義賊みたいなもので、彼自身は基本的に善人のカテゴリーに位置します。 性格としては異様に「美」にこだわります。*2

とらえどころのない性格と美への執着でさっぱり感情移入ができないのが読者から見て困るところですが、根幹のところではとても仲間想いなことが終盤に明らかになります。 冷静さ、宝への執念、高い体術や盗みの技量、宝の扱い方など随一の能力を誇りますが終盤に死にます

もう一人の主人公、スーはマシマロに憧れていた少女で、最初はただなりゆきでついていっただけの存在でしたが最も憧れていた男を間近で見続けて急激に成長します。あとおっぱい。 わかりやすい常識系ツッコミとお色気担当で成長枠でもあります。レギュラーが少ないから役割が多い。

ちなみにこの二人の技は全て「(アルファベット大文字)・(日本語)」で統一されています。 「G(ゴーレム)・ナックル」とかは違和感ないのですが、「M(目潰し)・蹴り」や「R(竜)・砕き」のようにどう考えてもダサい技名でもブレません。

この二人を軸に、宝を持つ盗みのターゲットである王族や競合する盗賊、他の「常闇の三大頭」のメンバーが関わってきます。

誤植…誤植しない…

この作品はかなり誤植が酷く、意図が伝わりづらい言い回しも多いため山程迷ゼリフを産んできました。 単行本では殆ど修正されてて当時のライブ感が味わえないので再掲しておきます。

  • 第1話「B・B・Dでよろしく」→なんでブラよろみたいなタイトルなんだって皆を疑問に陥れましたが単行本で「B・B・D」に修正されました。あからさまに担当との間で伝達ミスしてます
  • 1話にしていきなり出てくる宝のNoが混在します。「No.16 ゴーレムの心臓」「No.45 ゴーレムの心臓」ってどっちやねんと。*3*4
  • 「逆鮮」→多分逆鱗の間違いだろうと言われていました。しかも技名を最後まで言えなかったせいで余計アホっぽいことに…
  • 「フフフ、小声正確ですよ」→単行本で「正解」の誤りだと明らかに。言いたいことはわかるけど変な言い回しが刺さって頻出する定型文になった台詞です。
  • 「奴らを二度と誉めはせんよ」→変なセリフ回しでしばしば使われる定型になったフレーズですが「嘗めはせんよ」の誤字であったことが単行本で明らかになりました。
  • 「三日間の蘇生もようやく完了かと」→単行本で「三日かかった蘇生も~」に修正。この表現のせいで蘇生に三日かかったのか蘇生できるのは三日間だけなのか結構スレで議論になりました*5

ゾク

マシマロが本気になった際に気圧されたキャラクターが発する擬態語で、1話から結構頻出するのですが、マシマロの絵面がかなりダサいせいで「ゾク(笑)」みたいな扱いを受けることになりました。いつでも切り返しに使える便利定型の筆頭です。 ただ、結構連載を通してレベルアップしたところでもあり、私の感想としては「初回はカッコよく見えた」「今回は普通にカッコ良かった」と着実に進歩を重ねてきた演出でもあります。*6

ム・待て第二話 貴様加減などわかって… あぁ!

百戦錬磨のコンドラーをしてその全員がクソだと断言するであろう問題エピソードです。 「二話のせいでスタートダッシュに失敗して打ち切りルートに突入した」と考えているコンドラーも結構います。 話の流れはこうです。

ある村の酒場で飯を食うマシマロとスー

村人から騎士であるサルサから村の宝である竜殺しの剣を取り返して欲しいと依頼を受ける。彼は村の護衛をすると言い張って勝手に居座り、強引に剣を奪った挙句対価まで払わせているという

竜殺しの剣に興味を持ったマシマロは彼がいる洞窟に向かう

サルサと交戦し、いとも容易く撃退

剣を返そうとしたスーは村人から感謝されるもその場で剣をマシマロが強奪して逃走。スーも結局一緒に逃げる。サルサはマシマロに興味を持ち、護衛を放棄してマシマロを追い始める*7

以降の話ではサルサは最終話まで一切出現しない

これだけ見ると普通というか、ちょっと突っ込みどころのある話の流れなだけですが、「非常に独善的」「一見誇り高そうだが卑怯な手も躊躇いなく使用する」「弱い」という傍若無人極まるサルサに対して「え、まさかコイツ仲間になるの」と皆が不安になり、結局仲間にならなかった今となっては「じゃあなんでこんな話用意したんだ」と言われることになってしまうのでした。引きも一切ないし。

サルサに関しては存在そのものがネタとなっているので細かく台詞を追ってみましょう。

よく避けた 騎士の誇り高き一撃を

不意討ちに失敗したあとはこう言うと場を取り繕うことができます。

フン!その程度で躱した気になるとは愚か!

彼の攻撃はマシマロにもスーにも全てかすりもしていないのですがこの自信。

ム・待て女…貴様 加減などわかって…あぁ!

スーに剣を奪われたサルサが発した迷言。この台詞以降のバトル描写はカットされ、いきなり場面が吹っ飛んで場面は村に移ります。 アニメとかだとしばしばある演出ですが、どう考えても第二話にやるやつじゃない。

安い挑発だが乗ってやろう 騎士の誇りにかけて剣は取り返す!故に悪いな村人よ護衛はここまでだ!

いい人っぽく言ってますがそもそも村人の悩みは剣を奪って強引に居座るサルサです。

しかも「逆鮮…」と技を言いかけているところで「あ、頂き」という異常に軽いノリでスーに剣をパクられた挙句、上のようにいきなり省略される気の抜けるバトルシーンで、当時のコンドラーの関心は「どれだけ笑えるセリフ回しが出てくるか」「どれだけ意味不明な展開になるか」に集約されていました。

なんぞ連載する そのコンドルは手遅れぞ

そんな空気が徐々に変わってきたのが単行本でいうところの2巻収録分からです。 金の亡者である盗賊、ブルーシールが加入して掛け合いが充実化し、スーのお色気シーン増加、魔女の宝「魔術王の指輪」から召喚される悪魔がかっこいいなど見どころが徐々に増え、序盤で散々見せつけられた話の流れも整然とされてきます。

そして最後のエピソードでは残りの「常闇の三大頭」のオリーブとハヴァが登場し、マシマロが冒険する理由が明かされます。 ハヴァとの怒涛の能力バトルの果てにマシマロが死亡し、怒りに燃えるスーが秘められた力を目覚めさせハヴァを撃退。 マシマロを喪ったスーはその後…というエピソードまでが18話の間に濃度マシマシで描かれます。

当然打ち切りなので駆け足感はありますし、ハヴァは連載続いてれば味方になったポジションだろうなと思わされるのですが、それでも残された話数からきっちり話をまとめきった点は評価に値します。

私はまとめが 欲しいのです

「三ツ首コンドル」は「突っ込みどころのだらけのクソ漫画」が「粗削りながら見どころのある佳作」へと成長していく様子が全三巻18話で楽しめます。 単行本のエピソード加筆もかなり充実していますが、本誌の誤植も笑いのネタなのでどちらもおすすめです。 機会があったら是非読んでみてください。定型とか覚えておくと石山先生が次連載した時に使えると思います。*8

ハハッ その後とはビリリときたよ

作者の石山先生はその後、ジャンプNEXTで「凶星の紫」を、そして今日発売のジャンプに「妖移植変異体ガロ」を掲載しました(どちらも読み切り) まさか私も1日遅れたことでネタが増えることになるとは予想だにしていませんでした。

「凶星の紫」は個人的にあんまりピンと来ませんでした。無能力筋肉担当はさすがにデクとアスタさんいればいいかなという感じで食傷気味でした。 「妖移植変異体ガロ」は全体的にいい出来で楽しく読めました。ただ仮にこれで連載したとして生き残れるか、とは少し考えてしまいます。たった18話であれだけレベルアップした方なのでもっと素直に唸らせてくれることを期待しています。あとおっぱい。

*1:クソ漫画じゃなくなったから失望したと主張する読者も少数存在します

*2:ストレイト・クーガーが「速さ」にこだわるようなアレです

*3:単行本で45が正であると明らかになりました

*4:このミスのせいで2chのスレテンプレには「登場したお宝」に両方のゴーレムの心臓が記載されるネタが存在しました。本スレのNo.16も「【石山諒】三ツ首コンドル No.16【No.45】」なんてことに。

*5:限られた時間蘇生できる魔女の副産物が登場したせいで余計わかりづらい

*6:これは普遍的な意見ではないので見方が異なる人もいるかもしれません

*7:締まってるようで全然締まっていないこの話、編集によるラストの煽り「☆マシマロ式の一件落着…!? 」は定型入りしました

*8:SOUL CATCHER(S)の話するときにはLIGHT WINGの定型も役に立つように

GitのGUIはハイブリッドで~IntelliJ IDEAとSourceTree~

この記事はJetBrains IDE Advent Calendar 2015 - Adventarの3日目の記事です。

JetBrainsネタとしてはボーダーラインの微妙なところですが事前に用意していたネタが完全に事実誤認だったので慌てて作成した記事だったりします。

私はGitはGUI派で、SourceTreeとIntelliJ IDEAのVCS機能をハイブリッドで使っています。 とはいっても九割SourceTreeで、足りない部分をエディタも兼ねているIntelliJ IDEAにやらせてる感じです。

SourceTreeは概ね以下の様なことに長けています。

  • ブランチの時系列の流れが把握しやすい
  • 異なるブランチの相関関係が把握しやすい
  • ブランチで作った差分の内容が把握しやすい

全体の流れをさっと押さえることに関して長けている印象があって気に入っています。 ただ、物足りない事があって、以下の様な内容が苦手です。

  • 特定のファイルの変更内容を見ようと思ったら対象のコミットを探さないといけない
  • ブランチで変更していないファイルの状態がわかりにくい

つまり、特定のファイルにフォーカスして状態を把握することにかけては不得手と言えます。 この不満点をIntelliJの機能がきれいに補完してくれます。

特に私がよく使うのはファイル単位の「Show History」と「Compare with Branch」です。

  • 「Show History」は選択したファイルピンポイントで変更されたコミットを確認することができます。
  • 「Compare with Branch」は選択したファイルを現在のブランチと指定した他のブランチで差分を取ることができます。

Windowsで開発してた時はTortoiseGitも使ってたんですが、端末がMacに変わったのと、上記二つでやりたいことを満たせてるので多分もう使わないかなという感じです。 ただ、ロースペックマシンで開発するならTortoiseGitは取り回しがいいのアリだと思います(たまーに裏でこっそりリソース食いつぶして叩き落とす必要に駆られたことがありましたが)。もうメモリ残量とにらめっこして余裕があるかを見極めながらSourceTreeを立ち上げるような開発ライフには戻れる気がしません。

というわけで以上、同じgitの操作でも用途に応じてツール使い分けるといいんじゃないのというお話でした。

「おたく文化と児童ポルノ」への反論の試み

今日は一日中不機嫌な日であった。 元々自分は独善的な人間で、異なる価値観に寛容な方ではない。生きているうちに少しずつ学習して寛容であるように努力しているだけだ。

不機嫌の元はこの記事である。 togetter.com

こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。

この記事の1ツイート目はそのセンセーショナルさから大きな注目を集め、炎上した。 というより自分もリツイートしながら言及したので明確に炎上に加担した。 「響け!ユーフォニアム」は観ていないが、かつて8年吹いた青春の象徴である楽器を穢されたような思いを抱いたからだ。

ただ感情が落ち着いてくるとこの人は何を主張しているのだろうというのを整理しようと言う気分になってきた。 罵倒は他の人が勝手にやってくれるから自分でやる必要はないし、そうでないと反論できないからだ。

本論

まず、筆者が理解した久美氏の主張で重要と感じたものを箇条書きにする。

  • 日本のオタクコンテンツはしばしば海外の人間から児童ポルノのような奇異なものとして理解されることがある
  • オタクコンテンツがセックスや暴力を内包して連想させるものであり、かつ同人誌の流通によって直接的なセックスが表現されている
  • 上記のような性的・暴力的な二次創作の需要を受けてそれらの嗜好を満たす記号を持たせた作品がどんどん登場していった
  • オタクコンテンツは「子供のもの」と「大人のもの」という扱いをダブルスタンダードで都合よく使い分けてバッシングから逃れている
  • 相手から児童ポルノあるいはグロテスクなものとして捉えられている以上、そうでないという反論は意味をなさない

この内容のうち、1番目の現状は筆者も同様に理解している。

2番目以降の内容を理解するには、久美氏が言うところの「子ども文化」という用語を読み解かなければならない。 例えばディズニー作品は「子ども文化」だろうか。仮にそうとしてディズニー作品の二次創作が流通しないのはエロがどうとかではなく「ハハッ(甲高い声)」のネタでお馴染みなようにディズニーが著作権に極めて厳しいことが直接の原因だろう。 他の海外の「子ども文化」については詳しくないので言及を避ける。

ただ、他の久美氏の「子ども文化」に関する言及は正直よくわからない。

子ども文化の文脈でメディアセックスしまくっている

こちらは全くわからないので言及のしようがない。

なぜ規制が緩いのか?それは「たかが子ども文化じゃないか」で済まされてきたから。日本はもともと子どもに甘い文化土壌で、そこに敗戦が加わって「おとな」が消えてしまった。これがおたく文化を育んだ。そこを暴くのは二次創作ではなく研究と呼ぶ。

こちらに関しては現状認識からして一致しない。本当にそうなの?という思いである。 一般論としては封建的で子どもの自立性を尊重しないものとして見なされているのではないだろうか?

日本のおたくコンテンツのシンボルといえば、童顔ナイスバディガール。「おとな」と「子ども」の両方の顔を使い分けて肥大進化したのがおたく文化。それが具象化されたものと私は見ます。それが西洋人には児童ポルノの文脈で解釈されてしまうのです。

こちらはまだ理解できて、確かにそうかもしれないと思うことがある。だが、実際には本当に朝昼にやっているような低年齢層向け「子ども」向けのコンテンツはそのような姑息な真似をせず、性的・暴力的な記号をできるだけ抑えるように努めてきた。 例示されている「響け!ユーフォニアム」は深夜アニメであり、当然「大人」の文法で作られる。我が国で適用される18禁の基準は満たしていないので未成年者でも夜更かしすれば見れる、アニメイトに行けばグッズが買える。それだけではないだろうか。 それをポルノとみなす人間との議論が困難であるという指摘は残念ながら久美氏の言うとおりである。

現状認識が一致しない点はまだある。引用を続ける。

甘い。子ども文化を出自としながら次第に青年層(男子に限らない)を取り込み、やがて成人のいろいろな層も取り込んで肥大化したのがおたく文化。それなのに何かバッシングがあると「たかが子ども文化じゃないか」で逃げ回る。二重スタンダード。

この点は全く認識が一致しない。 オタクコンテンツ生産者にとってはオタク文化は飯の種であり、ライフワークである。「たかが子ども文化」などと他人事のように言い逃れをできるフェーズなどとうに過ぎている。 あまつさえ消費者のオタクなんてオタクコンテンツを引き算したらゼロになってしまうような人が少なからずいるのに(該当すると思った人ごめんなさい)そんな軽い言い訳ができる人間は少数派なのではないか。

例の国連派遣の調査官による児童ポルノ発言が叩かれたのも、彼女の発言が「たかが子ども文化じゃないか」という建前を打ち崩すものだと取られたから。おたく文化の共犯メカニズムを国家ぐるみで隠ぺいしようというのがTPPを受けて文化庁が宣言した「二次創作は見逃す」宣言。

極めつけはこのツイートであり、一応中立の体裁を取っている久美氏のバイアスがありありと現れている。 「例の国連派遣の調査官」というのはマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏のことであろう。 この件に関しては以下の山田太郎参議院議員の見方を支持する。公的な立場の人物が裏付けもせずに発言すればこうもなろう。

ブーア・ブキッキオさんの記者会見について【第64回山田太郎ボイス】 | 参議院議員 山田太郎 公式webサイト

ただ単に一般の外国人と会話してて「日本のアニメは児童ポルノ」と言われれば、久美氏の指摘する通り「理解してもらうのは大変だね」で済む。ケンカになるかもしれないがしょうがない。 しかし、公的な立場の人物がバイアスの自覚もなしに一方的な立場から意見を述べば問題になるのは明らかだ。 それは相手が西洋人だとかグローバル・スタンダードだからよいわけでもないし、ターゲットがオタクだとかアニメだからよいわけでもない。 それを許すということであればそれこそダブルスタンダードである。

結局のところ、久美氏の指摘するエロや暴力の隠喩は完全に否定できるものではないが、それでもかなり都合の良いものの捉え方をしており、「外国人が~」という下りは自分の主張の正当化のために代弁させているだけではないのかという印象を持った。 親切にも対話が困難であることをご自身から指摘してくれたのでできることならこれ以上の議論は避けたいところである。