Green Fortress

プログラマーのポエム隔離所

「おたく文化と児童ポルノ」への反論の試み

今日は一日中不機嫌な日であった。 元々自分は独善的な人間で、異なる価値観に寛容な方ではない。生きているうちに少しずつ学習して寛容であるように努力しているだけだ。

不機嫌の元はこの記事である。 togetter.com

こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。

この記事の1ツイート目はそのセンセーショナルさから大きな注目を集め、炎上した。 というより自分もリツイートしながら言及したので明確に炎上に加担した。 「響け!ユーフォニアム」は観ていないが、かつて8年吹いた青春の象徴である楽器を穢されたような思いを抱いたからだ。

ただ感情が落ち着いてくるとこの人は何を主張しているのだろうというのを整理しようと言う気分になってきた。 罵倒は他の人が勝手にやってくれるから自分でやる必要はないし、そうでないと反論できないからだ。

本論

まず、筆者が理解した久美氏の主張で重要と感じたものを箇条書きにする。

  • 日本のオタクコンテンツはしばしば海外の人間から児童ポルノのような奇異なものとして理解されることがある
  • オタクコンテンツがセックスや暴力を内包して連想させるものであり、かつ同人誌の流通によって直接的なセックスが表現されている
  • 上記のような性的・暴力的な二次創作の需要を受けてそれらの嗜好を満たす記号を持たせた作品がどんどん登場していった
  • オタクコンテンツは「子供のもの」と「大人のもの」という扱いをダブルスタンダードで都合よく使い分けてバッシングから逃れている
  • 相手から児童ポルノあるいはグロテスクなものとして捉えられている以上、そうでないという反論は意味をなさない

この内容のうち、1番目の現状は筆者も同様に理解している。

2番目以降の内容を理解するには、久美氏が言うところの「子ども文化」という用語を読み解かなければならない。 例えばディズニー作品は「子ども文化」だろうか。仮にそうとしてディズニー作品の二次創作が流通しないのはエロがどうとかではなく「ハハッ(甲高い声)」のネタでお馴染みなようにディズニーが著作権に極めて厳しいことが直接の原因だろう。 他の海外の「子ども文化」については詳しくないので言及を避ける。

ただ、他の久美氏の「子ども文化」に関する言及は正直よくわからない。

子ども文化の文脈でメディアセックスしまくっている

こちらは全くわからないので言及のしようがない。

なぜ規制が緩いのか?それは「たかが子ども文化じゃないか」で済まされてきたから。日本はもともと子どもに甘い文化土壌で、そこに敗戦が加わって「おとな」が消えてしまった。これがおたく文化を育んだ。そこを暴くのは二次創作ではなく研究と呼ぶ。

こちらに関しては現状認識からして一致しない。本当にそうなの?という思いである。 一般論としては封建的で子どもの自立性を尊重しないものとして見なされているのではないだろうか?

日本のおたくコンテンツのシンボルといえば、童顔ナイスバディガール。「おとな」と「子ども」の両方の顔を使い分けて肥大進化したのがおたく文化。それが具象化されたものと私は見ます。それが西洋人には児童ポルノの文脈で解釈されてしまうのです。

こちらはまだ理解できて、確かにそうかもしれないと思うことがある。だが、実際には本当に朝昼にやっているような低年齢層向け「子ども」向けのコンテンツはそのような姑息な真似をせず、性的・暴力的な記号をできるだけ抑えるように努めてきた。 例示されている「響け!ユーフォニアム」は深夜アニメであり、当然「大人」の文法で作られる。我が国で適用される18禁の基準は満たしていないので未成年者でも夜更かしすれば見れる、アニメイトに行けばグッズが買える。それだけではないだろうか。 それをポルノとみなす人間との議論が困難であるという指摘は残念ながら久美氏の言うとおりである。

現状認識が一致しない点はまだある。引用を続ける。

甘い。子ども文化を出自としながら次第に青年層(男子に限らない)を取り込み、やがて成人のいろいろな層も取り込んで肥大化したのがおたく文化。それなのに何かバッシングがあると「たかが子ども文化じゃないか」で逃げ回る。二重スタンダード。

この点は全く認識が一致しない。 オタクコンテンツ生産者にとってはオタク文化は飯の種であり、ライフワークである。「たかが子ども文化」などと他人事のように言い逃れをできるフェーズなどとうに過ぎている。 あまつさえ消費者のオタクなんてオタクコンテンツを引き算したらゼロになってしまうような人が少なからずいるのに(該当すると思った人ごめんなさい)そんな軽い言い訳ができる人間は少数派なのではないか。

例の国連派遣の調査官による児童ポルノ発言が叩かれたのも、彼女の発言が「たかが子ども文化じゃないか」という建前を打ち崩すものだと取られたから。おたく文化の共犯メカニズムを国家ぐるみで隠ぺいしようというのがTPPを受けて文化庁が宣言した「二次創作は見逃す」宣言。

極めつけはこのツイートであり、一応中立の体裁を取っている久美氏のバイアスがありありと現れている。 「例の国連派遣の調査官」というのはマオド・ド・ブーア=ブキッキオ氏のことであろう。 この件に関しては以下の山田太郎参議院議員の見方を支持する。公的な立場の人物が裏付けもせずに発言すればこうもなろう。

ブーア・ブキッキオさんの記者会見について【第64回山田太郎ボイス】 | 参議院議員 山田太郎 公式webサイト

ただ単に一般の外国人と会話してて「日本のアニメは児童ポルノ」と言われれば、久美氏の指摘する通り「理解してもらうのは大変だね」で済む。ケンカになるかもしれないがしょうがない。 しかし、公的な立場の人物がバイアスの自覚もなしに一方的な立場から意見を述べば問題になるのは明らかだ。 それは相手が西洋人だとかグローバル・スタンダードだからよいわけでもないし、ターゲットがオタクだとかアニメだからよいわけでもない。 それを許すということであればそれこそダブルスタンダードである。

結局のところ、久美氏の指摘するエロや暴力の隠喩は完全に否定できるものではないが、それでもかなり都合の良いものの捉え方をしており、「外国人が~」という下りは自分の主張の正当化のために代弁させているだけではないのかという印象を持った。 親切にも対話が困難であることをご自身から指摘してくれたのでできることならこれ以上の議論は避けたいところである。