Green Fortress

プログラマーのポエム隔離所

2才児を喫煙させた動画で逮捕された夫妻から考える

私は警察が嫌いである。 理由はよくわかっていない。冤罪などの組織的な問題もあるが、もしかしたら自分の本質的な欲望が法秩序の外側に位置するのかもしれない。子供の頃、名探偵コナンを見ている時も犯人に感情移入することがやたら多かった。 そのためか刑事ドラマや探偵モノの作品はあまり好きではないし、警視庁24時のVTRで逃走犯を追いかける警官のチンピラめいた煽り声は本気で不快感を催す。あんな奴らの世話になるくらいなら法を遵守して健全な市民でいる方がよほどマシだ。

私は自由主義の考え方に惹かれることが多い。政府が介入し、規制する内容は現在よりもより少なくあるべきだ。 一方で、アナーキズムテロリズムには与しない。秩序が崩壊すれば国家の縛りはなくなるかもしれないが、自称イスラム国ISを見るようにそれが豊かな生活にはとても思えないからだ。

表題に戻ると、この夫妻が行った行為は犯罪であり虐待である。法的にも道義的にも擁護する余地はない。 しかし、夫妻の子供はどうだろうか。タバコを吸わされるのも苦痛だが(筆者は嫌煙家なので同情する)、国家権力によって両親と引き離されるのも同等の苦痛があるのではないだろうか。クズであろうが犯罪者であろうが一応は実の親である。

逮捕歴が付くことでどのような影響があるか(非常に不利な制約がつく印象を受けるが)よいデータを筆者は持っていない。遠隔操作犯罪で世間を賑わせた片山被告の場合は学生時代の掲示板での殺害予告での前科が着いた後、会社員として社会復帰できていたようではあるが。

なぜこのようなことを気にしているかというと、インターネットによってあまりにも逮捕が身近なものになっていないだろうかという点を強く危惧するからである。 この夫妻に限らず、年端もいかない学生がインターネットで粗相をして逮捕される事例を散見する。いじめのような傷害罪だと学校がかばい、万引きのような窃盗罪であれば示談だったり警察で怒られるだけで放免されるのに比べるとあまりにも厳しすぎるのではないだろうか。 (いじめの加害者は確かに犯罪者であり、私も近いものを受けた経験はあるが、それでも逮捕は最後の手段であるべきだ)

違法行為なのは疑いようもないが、道路交通法違反だって違法行為である。だが、駐車違反や一時停止違反のような内容であればよほど厳しい業務についていない限り包み隠す必要もないだろう。「逮捕」というのは我々一般市民にとってあまりにもインパクトが大きすぎるのである。

私が政府に要求するとしたら、逮捕勾留からの起訴制度に代わる略式のよりソフトな刑罰システムである。道路交通法点数制度を拡大するのもよいだろう。 逆に、裁判員制度のように、量刑に「市民感覚」を適用すると厳罰化が行き過ぎるから避けるべきである。

私は仏教徒だが、お決まりのフレーズを最後に聖書から引用する。

―――あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。

イエス・キリスト

15/11/23追記 しかしよく考えたら罰則システムを追加するのって自由主義的じゃない気がする。 かといって刑罰の軽減化とかそう簡単に起きようはずもない。 意図としてはもっと世の中の窮屈感がなくなって欲しいのだが、どういった方向性がよいのだろうか。